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日々響く日々

委員長と最後の思い出作り

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委員長と最後の思い出作り

この大学から一番近い有名観光スポットといえば
台児荘だろう。
ここは台児荘の戦いの場所として知られている。
まあ歴史的な経緯を考えると、なんとなく日本人には行きづらい場所。

でもせっかく近いのだから行ってみたいとは思っていた。
それも夜が綺麗だと聞いているのでぜひ夜に。

そして泰山から帰ってきた翌日。
委員長と行くことにした。

本当は夫も一緒に最後に三人で行く約束をしていたがしかたない。

この部屋のドアは中から鍵を閉めると
外から鍵を使っても入れない構造らしい。

その前には自分が今寝ている部屋の鍵を閉められて入れなくされたが
今回は委員長と二人で閉め出され、
暑いし仕方ないから向かいのリーリーの家に避難していた。

天の岩戸が開く気配もなく、しかたないからこのまま二人で行こうと
委員長は言う。

しかし私の服装はほぼ寝巻き。
そのままでも大丈夫と委員長もリーリーも言うが、
いくら田舎でもちょっと嫌だ。

そうこうしているうちに夕方になった。

やっと中に入れて無事着替えて出発。

タクシーで一時間かけていくか、バスで二時間かけていくか悩んだけど
つっちー情報で、三時間もあればまわれるということだったのでバスで。

終点まで行くはずがなぜかひとつ前のバス停で強制的に下ろされる。
どうやらその先の道が走れなくなっているらしい。

降りると同時に白タクの勧誘が凄まじい。

警戒心の強い委員長は拒絶。
でも一人三輪タクシーのおばさんが最後までしつこく話しかけてきた。
二人で10元(160円)でいいと言う。
それでもしぶったら8元にしてくれた。
わたしは「先に払うなら乗ってもいい」と言ったらOK。
これでぼられる心配はないかと思ったけど委員長はまだ警戒している。
「前にお父さんが乗ったタクシーは途中何もないところで急に停車して
最後まで走ってほしければさらにお金を払うように要求しました」とのこと。

うーん、その手があったか。

まあ結局普通にいいおばさんで8元で送ってくれたけど
ちゃいなでは先払いでもぼられることがあるので白タクは要注意。
正規のタクシーでも改造メーターとかもあるしこれまた要注意。

これで少し怖い思いをしたと感じた委員長は
帰りのタクシーはいつも利用しているおばさんを呼んだ。

到着したのは18時ぐらい。

まだ外は明るい。

ケンタッキー
委員長のルームメイトおすすめの店でごはんを食べる。
観光地価格だけど美味しかった。   ↓ナンっぽい

食べ終わるとすっかり夜で外は雰囲気が変わっていた。




 
委員長と船に乗った

舟歌みたいのが雰囲気あってよかったんだけど
ライブバーも多くて、ロックと融合するカオス!


ああ走馬灯のように蘇る委員長との日々。

いつもそばにいてくれた。
一番一緒にごはんを食べてくれた。
困ったときは真っ先に助けてくれた。
授業の手伝いもしてくれた。
有能な通訳だった。
頼りになる娘だった。
日本語ができるだけじゃなくて勘がよくて気が利いた。
礼儀正しくて真面目で負けず嫌いで優しくて。
わたしのことをよくわかっていた。
いつも好きな桃を買ってきてくれた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶよ」と背中をなでてくれた。
いつも味方でいてくれた。

そして、本当ならみんなとっくに家に帰っている時期に
私と一緒にいるためだけに大学に残って、宿舍退去日の前日までいた。

そのため、大学にいるならと、
家に帰ってるクラスメイトたちに卒論のコピーやらされたりもしてたけど、
「こんなことなら家に帰ればよかった」と言いながらも
それでも帰らず一緒にいた。

だからこの一ヶ月、ほとんど一緒にいたし、
裏山に登って、泰山に行って、台児荘に行って、
彼女がやり残したことはほとんど全部一緒にやった。

温泉だけ行けなかったけど

一番行きたいと言ってた泰山と台児荘には行けてよかった。

きらびやかな観光地となった台児荘だけどかつては
血なまぐさい戦場だった。

もちろんそのことは忘れ去られてはおらず、
ここには「じゃぱん軍をやっつけろ!」みたいなアトラクションもある。

ちゃいなの人たちの感情を害さないよう
日本人と知られない方がいいかなぁと思い、
コリアな人の真似をすべく
語尾に「スミダ」をつけて委員長と話した。
なぜか委員長までスミダ弁がうつっていた。

二人で笑いながら歩いた。

真っ暗な中を手をつないで歩いた。

80年前、この地で敵対していた国の者同士が
なかよく手をつないでその地を歩いていることが
ものすごく不思議だった。

憎み合うのに国は関係ない。
だってわたしは今となっては一番身近なはずの同じ国の同居人よりも
委員長のほうがずっと信頼できるし、安心できるのだもの。

結局一人ひとりが国とか関係なく相手を尊重できるなら
平和な関係を築くことができるんだろう。

そして相手を理解するのに言語の正確さより大切なのは
相手を理解しようとする気持ち。

共感力に国は関係ない。

言葉のわからない国でたいへんでしょうと
よくじゃぱんで言われたけれど
ここでは同じ言語を話す人とまったく意思の疎通がはかれなくて
そっちのほうがずっと苦しみだった。

委員長はそのこともよく知っていたし、
だからこそわたしに寄り添ってくれていた。

委員長の好きな食べ物はよく知っている。
人参のグラッセ、ハンバーグ、グラタン、コロッケ。
食べたいというものは全部作った。

日本料理も一緒に食べに行った。

できることは全部してやりたいと思った。

どれだけ感謝しても足りない。

できれば最後は三人でごはんを楽しく食べたかった。
でもそれよりも一人でいたいという人をどうすることもできない。

わたしは楽しい思い出を彼女に作ってあげられただろうか。
そばにおいてしばりつけてはいなかっただろうか。
私たち二人のことにずいぶん巻き込んでしまった。
わたしは無視されることが多いから、よく代わりに連絡してもらった。

何があっても耐えて笑ってればよかった。
自分まで精神的に病まないように、
彼女に甘えるのではなく、彼女のためにひたすら耐えて
ただただ笑ってればよかったなぁ。

それができるほど強い自分ではなかったし、
むしろ彼女に守られていたと思う。

彼女はここを巣立ち、地元で就職し
地元で結婚し、家族みんなで幸せになる。

時々は昔日本人の先生がいたと思い出すこともあるかもしれない。

そのとき思い出されることがどうか楽しい思い出でありますように。

「つらい思い出しかない」と言われるのは本当につらい。
でもきっと彼女はそうは言わない。
いつものように「たのしかった」「だいじょうぶ」と言って笑うんだろう。

この日、暗い歴史のあるこの地で
手をつないで歩いたことを
わたしは一生忘れない。

そして一生どこにいても彼女の幸せを祈るだろう。

感謝と愛情を込めて。




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